28 9月, 2017

妄想と理想と机上の空論



僕がeventにではじめた1年未満まだ経験が浅かった頃につぶやいてた事を最近否定しがちなのでちゃんと書きたい。

主張してたこと

イベンタはクリエイタにもっと厳しくするべき
よいeventになりお客さんのためになり
結果クリエイタにもかえってくるのだ

誤解なきよういっとくけどゆるいeventはそれはそれでいい。
皆同じ方向をみてればよいのです。happyDESU
あくまでトップeventに求めることでした。
その頃はアーケードにでることを夢み、はじめて体験した海外event TAG の影響のでかさを知り、まだまだ上があると夢をみていたのです。
(その後eventにでまくったけどTAGが俺にとって最強なままでしたW)

ほんと経験する前に想像妄想するのは簡単でした。
それをしたり顔で主張してたわけです。

色々経験してきて、厳しさに見合う結果が残せるeventが想像できなくなります。
同じことをするeventが多数でてくればそれぞれの影響は弱くなりますよ。
40-50のそれなりに作れるお店が楽しさを奪われてまで耐え抜き満足する結果。無理じゃない?
あり得ないとさえ思い。
(TAGの影響がでかくしばらくTAGゾンビ化してた気がします)


膨大な時間をかけて製作し、event期間中にペイできるのは20%程度。
残り80%を店でさばかなきゃいけないのに店に戻ってくれば息をしていない。

店で売る事を中心に考えないと危ない。

で、初期の頃につぶやいてた自分が望むeventと間逆といってもいいくらいの
自分が思うように立ち回れるゆるいeventを求めるようになったわけです。

ダブスタじゃないんです。バナナだっただけなんです。

イベントとの付き合い方 2017 しも

イベントとの付き合い方 2017 しも

昨年ブログにもかいたけど、俺はeventの方を向いて物作りをしていました。
それはeventに参加する時点でイベンタが俺を選んでくれて、お客さんは俺が作ったものを買うかどうかは見てから選べるので、リスクがないと、
イベンタにこびるとかじゃなく選んでくれたイベンタに報いたい気持ちが強かったわけです。報いてたかどうかは別としてですよ。
なにせだらしない人ですからね。気持ちに身体がついてこないなんてざらですよ。

何度も書いたので省略するけど、よい結果、環境ではありませんでした。
ガチャ元年の年はガチャに助けられたけど、通常品に戻ったら売り上げがた落ち。
※これはイベンタの方を向いたのが悪いという話しではなく
自分のスキルや魅力、求められてたものがそれとあってなかったということです
クリエイタにとってはそのほうが居心地がいい人もしっているし


それで今年は以前(eventにでまくる前)のように自分の方を向き、自分の商品を好きな人の方を向くことにしたんですよ。
今はそのスタンスで作っています。

好きな人の方をむくというのは単純に自分が良いとおもうものを作り、売れ行きを見ながら駄目ならやめてよければアプデを繰り返して推していく。

声だけを鵜呑みにはしません。結果重視。




理想で求めてるものと、身体が求めているものが異なるようにw

そんでそれができるeventを選んでいます。

1つ目は作りたいものとテーマ、タイミング、条件があっているか。
2つ目はイベンターの熱量。
(低くても高くても否定はしないが、自分と差があるとこは避けたい)

良きタイミングってのは市場が求めてるだけでなくeventが作る場合も大いにあって、
いいeventの話+作りたいもの が一致したときが良きタイミングになったりもします。

買い物イコールeventみたくなっている今、見てもらう為に、また締め切りに助けられることが多いんで出ない選択はないかな。
そこに身を置いていくつもりである以上、event側(のみ)のタイミングの勧誘にこれからも悩まされ続けるとおもいます。

今は出たくない、けど自分のタイミングででたいから続いてはほしいし、見限らないでほしいわけですw
まあまあ自分勝手ゆえに勧誘の度にそれでいいのかと悩むわけです。

お店の運営や製作に関してはその悩み以外ではうまくいっているとおもいます。
(9月辺りでガチャ元年の年間売り上げこえ、製作に関して感じてたストレスも段違い)



そんなわけで皆大好きHEROポーズと腕の組み換えによりポーズを無限大に増やせるHUDを置いておきますね☆

[HD]Bento pose *HERO-F*

[HD]Bento pose HERO-F(coming soon





19 9月, 2017

自分のものではないという考え







自分の中にあるという考え

a,その人の中にあるものは全てが元々外からやってきたものなので、
いくらか引用したり参考にしたそれだけが外(他人)からきたものという解釈はおかしいのではないか

b,作品とする時点で引用したものを咀嚼して自分のものとして出すはず(べき)

自分の中にあるか否かという質問の意図

a,は当たり前の前提条件だとおもう。
故に聞くまでもないことなんだよね。あなたは空気を吸っていますか。くらいの。
そこをこれまであえて確認してきた人の意図を考えると、答えがNOとなる。
これはあなたの中にある願望であったり体験したものであったり、あれこれなのかという意味ではNOであるという。
YESな部分もあるかもだけど、どこからどこまでがYESでNOかなんてそのキャラだったりストーリーができるまでのあれこれを説明できないから手っ取り早くNOなんだとおもう。

小説とかだと自分を投影する人もいるだろうけどカケハナス作業をする(キャラが多ければ尚)こともあるんじゃないかと、そういう意味でのプライドなど。

bに関しては必ずしもそうじゃない場面が割とある気がする。
引用したデータにアレンジを加えた場合に引用データをどう捕らえるかの違い。
血肉になっていない/理解できていない=自分の中にない


最近、いじったダニエルアバター
17-9-12

これを作るに辺り、短時間で外人アバターを作る というmissionがあり、
スキンをマケプレで探し始めるが面倒で1ページしかみずに選んだ、
外人は色黒がすき(ソースふりつかー)とおもっていたが販売者のストアの売れ筋順にみたら上位ではなかったので避けた、
日本人が好み云々よりコンプレックスから極端な数値にしてしまっている現象をみると、外人の中でもそれがありえるという疑い。
持っている服が似合わず唯一あった上にあわせたら下はSサイズしか無理で日本人アバの頃より細くなる
顔についても色々あって、結局これは お前の中から生み出されたのだろうといわれるとそれまでに決定に関与した色々なことを説明できない故、一部YES, しかし NO といいたくなる。







そんないろんな思いが交錯する
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