日本は公助、共助が進んでますからねえ。社会保険、公的扶助、公衆衛生・医療、そして社会福祉。税を再配分することで貧しい人々に手を差し伸べてる。寄付が多いのはそれができていない国の話ですよ。統計は統計です。
— やっちぼん (@yacchibon) August 14, 2021
日本は生きるのに死ぬほど困ってる人が少ないからなあ
— [HD]hiko Nino (@hiko_nino) August 18, 2021
病院にも余裕でかかれるし
略奪もないし
そうおもうと前澤氏のリプ欄で困ってるアピールの人たちも中々滑稽
この件について実際のところ、詳しいわけではないのでツイッターでさらっという程度が都合がいいんだけど、自分が思ってもいない考えを持っていると思われるのがすごく嫌なのできちんと書こうと思う。
アメリカの寄付文化について知ったのは数十年前、セカンドライフで、である。
はっきりと覚えてないんだけど、どこかのお店のクリエーターのがん治療の為の募金活動が行われていた。
日本で病気での募金活動って特殊症状のもので稀。
日本ではこんなことないよね、と誰かに(w 話したらアメリカでは日本のような公的保険制度がないから、治療費が高額になるんだと。
(歳よりや低所得向けはある
また生活保護などに関しても受給期間や金額は日本のように健康的で文化的な生活を維持できるものではない。
制度がなければ成熟した社会で募金のような助け合いの文化が発展するのは当然だとおもう。
税金の控除もだけど、こういった文化に伴ってじゃないのかな。しらんけど。
日本で寄付意識が低いのはそもそも社会制度がしっかりしていて
「絶対的貧困」で死ぬということが起こりえないという”前提”が背景にあるんじゃないのって話。
制度は完ぺきとは思わないが、前提としてそんな人がいるのが許されない。
ちなみに「絶対的貧困」というのは生命を維持するのも難しい貧困で
「相対的貧困」とは国の生活水準から決められる。
調べたらアメリカの絶対的貧困は13%相対的は17%.(2008)
日本は絶対的貧困率を検索しても相対的ばっかでてきてわからん。
実際は絶対的貧困がいないともおもわないので「日本は”生きるのに死ぬほど”困ってる人が少ない」くらいと認識しててそう書いた。生きる意味が分からなくて生きるのがつらい話とかはおいといてよ!
半額弁当いやなので刺身たべたいっていう感じなら、「余裕があればたまには」助けてあげる もしくは 「こっちだって食いたい」
「友達や大事な人ならあるいは」
でも隣人がもう食べるものもないっていってれば食事をもっていくでしょう。
災害なんかでそれらが奪われれば助け合うでしょ。
前澤氏のリプ欄には余裕さえあればやってる!!とか貧富のサー!とかいってる人おおかったんだけど、いや文化が違うし、日本の社会制度スバらしいすぎて平時はなかなか寄付を煽られることないんだわって感じ。
ちなみにマジシャンDaigOがいってたけど、寄付をすることで幸福度があがるらしい。
俺は災害以外では植林、猫の保護活動、きまぐれになんらかの続けてほしい活動に寄付する感じ。
これは動機が自分の方にあるんだよね。
そんな違い。
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