私は小説にしろ絵にしろ、自分の中にないものは出せないと思うんだけど、以前、小説を書くのが好きな人にそれを強く拒否されたことを思い出す— 浮かれポンチ(骨) (@c___v) 2017年9月18日
で、その話を聞いてる一連の中で一番おもしろかったというかびっくりしたというか興味深かったのが— 浮かれポンチ(骨) (@c___v) 2017年9月18日
「例えば殺人者や気狂いを登場させた場合、それも自分の中にあると思うのが嫌だしそう思われるのが本当に嫌だ」と だから自分の中にあるものを出していると思いたくないし思われたくない、というわけ
自分の中にあるという考え
a,その人の中にあるものは全てが元々外からやってきたものなので、
いくらか引用したり参考にしたそれだけが外(他人)からきたものという解釈はおかしいのではないか
b,作品とする時点で引用したものを咀嚼して自分のものとして出すはず(べき)
自分の中にあるか否かという質問の意図
a,は当たり前の前提条件だとおもう。
故に聞くまでもないことなんだよね。あなたは空気を吸っていますか。くらいの。
そこをこれまであえて確認してきた人の意図を考えると、答えがNOとなる。
これはあなたの中にある願望であったり体験したものであったり、あれこれなのかという意味ではNOであるという。
YESな部分もあるかもだけど、どこからどこまでがYESでNOかなんてそのキャラだったりストーリーができるまでのあれこれを説明できないから手っ取り早くNOなんだとおもう。
小説とかだと自分を投影する人もいるだろうけどカケハナス作業をする(キャラが多ければ尚)こともあるんじゃないかと、そういう意味でのプライドなど。
bに関しては必ずしもそうじゃない場面が割とある気がする。
引用したデータにアレンジを加えた場合に引用データをどう捕らえるかの違い。
血肉になっていない/理解できていない=自分の中にない
最近、いじったダニエルアバター
これを作るに辺り、短時間で外人アバターを作る というmissionがあり、
スキンをマケプレで探し始めるが面倒で1ページしかみずに選んだ、
外人は色黒がすき(ソースふりつかー)とおもっていたが販売者のストアの売れ筋順にみたら上位ではなかったので避けた、
日本人が好み云々よりコンプレックスから極端な数値にしてしまっている現象をみると、外人の中でもそれがありえるという疑い。
持っている服が似合わず唯一あった上にあわせたら下はSサイズしか無理で日本人アバの頃より細くなる
顔についても色々あって、結局これは お前の中から生み出されたのだろうといわれるとそれまでに決定に関与した色々なことを説明できない故、一部YES, しかし NO といいたくなる。
そんないろんな思いが交錯する
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